NHKスペシャル「下山事件」第1部、第2部 3/30放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

NHKスペシャル 未解決事件 File.10 3/30放送
下山事件

感想
第1部
ドラマパートはけっこう面白かったが、ドキュメンタリーの分量が多いため、ドラマのあらすじまでには手が回らなかった。
森山未來の抑制された演技は好感が持てる。
佐藤隆太もなかなかの好演だった(BM事件以来久しぶりに見た)
玉置玲央は「光る君へ」の道兼役なのでびっくり(長髪が)
大沢たかおは「帝銀事件」繋がりでのカメオ出演。

第2部
下山事件については松本清張が「日本の黒い霧」の中で謀殺論を展開したものを読んだが、数十年も前の事なのですっかり頭から抜けていた。
今回の情報を元にキーマンの「李中煥」をネットで検索しても、この番組関連ばかり。

 

ただ2件ほど今回以外によるものがあった。
1つは読売新聞。
元高校教師が、下山事件に関わっていた検事 金沢清から20年前に預かった資料を思い出したという。
詳細はコチラ
事件当日から数日後の警察やその周辺の情報であり、今回番組の一部は成すが李中煥については事件前にそういう計画があるとのタレコミとして扱われており、その後の布施の調査記録はない。

2つ目はドラマパートでも出ている朝日記者 矢田喜美雄が出した「謀殺 下山事件」と、評論家 佐藤一が出した「下山事件全研究」を下敷きにして書かれたブログ記事。更に様々な者が出した関連本についてのレビューも行っているが「鎗水徹」や「アーサー・フジナミ」の名は出て来ない。以下一連の記事。
         10 11

この、NHKが入手したという「極秘資料」が怪しすぎる。
もう少しこの資料の来歴等が明らかにされない限り、ドラマパートもドキュメンタリーも信用に値しない。

当方の推理
今までの資料で出て来なかった鎗水、フジナミの遺族やら米公文書館の資料やらを「ファミリー・ヒストリー」の手法で引き摺り出して「実録風」にまとめ上げた(NHKのお家芸)
方向付けたいのは占領下の一時期、アメリカの政策に政府が加担し、それが日本の未来を決めたという事。
しかしちょっと引っ掻くものの、総体としての日米協調を肯定。
オマケ

米側証人のアロンゾ・シャタックは「帝銀事件」の時も731部隊の資料の件で「出演」していた(けっこう使い回されている)

ドラマパートのラストで布施の上司 馬場が語る。
・・・物事は複雑なんだよ。白か黒か、敵か味方か、国か個人か、そんな簡単に線が引けたら苦労はしない。その混沌の中にあって、かろうじて探って行くんだよ。そして今、最もまともな判断が、アメリカとの関係の継続なんだよ。違うか?
「国営企業」としてのNHKが言いたかったのはコレ。
告発と見せかけて阿っている。
本当は、その先を見る目が必要なんだけどな・・・


第1部(ドラマ)
脚本 安達奈緒子

キャスト
布施健   森山未來 担当検事
矢田喜美雄 佐藤隆太 朝日新聞記者
板垣正巳  森崎ウィン
佐久間幾雄 川島潤哉
櫻岡万作  アベラヒデノブ
鎗水徹   溝端淳平 読売新聞記者
李中煥   玉置玲央
渡辺修二  前田旺志郎
児玉誉士夫 岩崎う大
下山貞則  堀内充治 国鉄総裁
松本清張  大沢たかお
馬場義続  渡部篤郎 布施の上司

概要
1976年7月27日に、元首相の田中角栄がロッキード事件で逮捕されたニュースを観る検事総長の布施健。

逮捕に踏み切ったのは彼。27年前の事件を思い出す。

1949年7月、国鉄総裁が突然の失踪後、謎の轢死体で発見された下山事件は、数多くの作家やジャーナリストが挑み、誰も解くことができなかった“占領期最大の謎”と呼ばれている未解決事件。

今回、NHK取材班は厚いベールに包まれてきた怪事件に光を当てる“極秘資料”を入手。4年にわたる解析・取材の末に浮かび上がってきたのは検察が迫っていた真犯人の実像と、その水面下で繰り広げられていた超大国の緻密な謀略だった。

ドラマ編では、戦争の影を色濃く残す占領期に浮かび上がった“巨大な闇”に、人生をかけて立ち向かったひとりの検事の壮絶な戦いを映像化する。





第2部(ドキュメンタリー)
戦後最大の謎と言われる事件の極秘資料を入手した。
1949年7月5日。日本国有鉄道総裁 下山定則が行方不明となり、翌日轢死体となって発見された「下山事件」


当時日本は連合国の占領下にあった。国鉄職員10万人の解雇を迫られていた下山。自殺か他殺か、様々な組織の関与が疑われた。
(米諜報機関、労働組合、陸軍中野学校、共産主義者・・・)
警察は時効までの15年間、事件を追ったが未解決に終わる。
事件を担当した布施健検事は、時効まで事件を追った。


その時の捜査資料700頁あまりが公表された。

事件当時の情報。下山氏が行方不明になった後発見されるまでの間に、現場周辺で本人を目撃したという証言が多数あり。
轢死体の傷痕には皮下出血がなく、死後に轢かれたとの判断。

事件から2年後、吉田首相とダレス対日講和問題特使との会談の中で吉田は、下山事件の犯人を韓国人によるものだと言い、韓国に送還されて逮捕出来なかったと話した。

韓国人の名は李中煥(りちゅうかん)


供述によれば李はモスクワ共産大学で学び、ソビエト共産党のスパイとして情報を集めていた。下山の死の3ケ月前、彼に接触する様指示を受けた。当時GHQは国鉄人員整理と共に左翼分子排除の意向があり、国鉄トップに対する断固たる処置が必要との判断。事件当日は、三越本店で下山と落ち合いソ連大使館に連行。
下山を殺した時の状況についても説明。列車に切断される部分の腕から注射をして殺し、そこの血管から血を抜いた。
現場付近で見た下山は、党員が彼の服を着て歩いたという。

本人だけが知る秘密の暴露に見えたが、それを覆すものが出た。
新聞で李の事を知った「渡辺修二」日本秘密探偵社に勤め、かつて李と共に諜報活動をしていた。李は頭が良く嘘がうまい。定職はなく、大使館や諜報機関に嘘を流して金を得ていたという。
混乱する警察は、確信がないまま李の捜査を終了。
アメリカの管理下で収監されていた李は、韓国に強制送還された。李の捜査はアメリカの意向で打ち切られた。

実は検察はソビエトだけでなく、李とアメリカの繋がりを捜査しようとしていた。極秘資料には李が情報を渡していた「松井」の名が。GHQ傘下で諜報活動をしていた「ビクター・マツイ」


今回マツイがインタビューを受けた映像が見つかった。


占領下のある時期、米ソの敵対関係が熾烈さを増したのに気付いた。国鉄のストや妨害活動を探る様命じられていた。
そこでは24人ほどの二重スパイを協力者として使っていた。
ソビエトに対して有利な状況を作り出すのが目的。

下山事件当時の1949年は、米ソの覇権争いが激化した時期。
この時のソ連は核実験にも成功し、共産主義勢力拡大に注力。
一方アメリカが日本を反共の砦にすべく動いた時代。
マツイが所属していたのはジャック・キャノン少佐率いる「Z機関:通称キャノン機関」ソ連抑留から帰って来た兵を二重スパイにして取り込み、反共工作を主導していた。


その1949年には鉄道絡みの怪事件が続発。7/15三鷹事件(無人電車暴走)、8/17松川事件(機関車脱線転覆)
キャノン機関の関与も疑われたが、関わりは本人が否定した。

アメリカ公文書館でキャノン、マツイ、李の繋がりを示す文書を発見。キャノンとマツイが李の能力を見込んで利用した記録。
布施検事が李を調べる半月前の2/16。
李を東京神奈川CICで雇ったのは1948年夏。李はソ連諜報組織のリーダーと称し、CIC支援を申し出た。CICは工作員10名以下100名の協力者を管理し、共産主義者の情報を集めていた。


下山事件の2週間前、キャノンとマツイは李に接触。
李に対するキャノンの評価。彼はCICの求めるものを十分に理解し、各情報から極めて信頼性の高い報告書が作れる。
しかし、李とキャノンが下山事件以前に接触していた記述は削除されていた。

占領期の日本で暗躍していたキャノン機関最後の生き証人、アロンゾ・シャタック(96歳)


日本での反共工作の内幕を明かした。二重スパイの作戦も実行。
知り合った人物を日本の警察組織に潜り込ませ、ソ連のスパイに見せかけてアメリカのためのスパイ活動をさせていた。
彼らの最新装置で嘘の情報を送った(笑)
(李の写真を見せて)彼を覚えてますかと問う。

多分彼とは面識がある。私がCID(犯罪捜査局)に居た頃、キャノンと一緒にCICを良く訪ねていた。

このインタビューの5ケ月後アロンゾ死去。
下山事件はソ連の仕業だと言う、李の供述を取っていた布施の事はアメリカ側に筒抜けだった。嘘がバレるまでは調べるだろう・・そして李は1950.4.13に釜山へ強制送還された。

下山事件と同時期に行われていたアメリカの反共工作。その闇を追い続けたジャーナリストがいた。鎗水徹(やりみずてつ)


シベリア抑留の後、1949年に帰国。読売新聞の記者となり米軍の取材等を担当。下山事件を追い、独自の情報を掴んでいた。
仲間に話したその内容:李はアメ公とソ連のダブルスパイ。

下山謀殺の半分ぐらいの本当を教えて自首させた。李は、アメリカが仕立てた「共産主義による謀殺」演出のための「ピエロ」
彼の考えには、ある男が影響していた。「児玉誉士夫」


彼が下山事件について供述していた事が明らかになった。児玉は戦後最大のフィクサー。政財界から裏社会にまで通じていた。
外務省情報部の友人によるという前提での話。国鉄全面ストの計画に絡んで、事件の数日前から下山総裁が狙われているという話があった。10万人の解雇をGHQから求められていた下山。
その様子を副総裁が見ていた。英語が話せる下山は先方に

「俺がやるのだから任せてくれ」と言っていた。
元運輸次官で、下山と懇意だった佐藤栄作は人員整理に関し、国鉄と政府は必ずしもうまく行っていなかった、と発言。
政府は当初中央執行委員の全員首切りを希望したが、下山は「俺に任せてくれ」と言ったという。技術畑で労働者に理解があった下山は、人員整理には自らの判断を優先した。
そんな下山の動向をアメリカ情報機関がマークしていた。

様々な案件に絡んでいたと思われる二重スパイ。その中でも中心人物だと見られていたのは「アーサー・フジナミ」


下山の身辺を調べ、事件当日も下山を三越に呼び出していたという情報もあった。その足取りを検察もジャーナリストも追ったが、誰も辿り着けなかった。
今回1年以上周辺を調べる中で、アーサー・フジナミの遺族を突き止めた。娘のフジナミ・ナオミさん。

フジナミは2020年、101歳で亡くなっていた。ナオミさんは父が亡くなる前に、日本での事を聞き取りメモしていた。
CICは共産主義が日本に蔓延する事を懸念。国鉄の総裁が共産主義に加担しないか疑い尋問した。そしてその後総裁は暗殺された。しかし実行犯が誰だったかは言い残していなかった。

鎗水徹は、児玉から更なる情報を得ようとしていた。
今回息子の鎗水洋(ひろし)さんが初めて取材に応じた。


児玉から明かされた、下山殺害の真相を語り残していた。
あれは米軍の力による殺人だと言っていた。
児玉が語った事件の黒幕はアメリカ。ある有事が絡んでいる。
朝鮮戦争が起きるというか、起こす前提でアメリカ側は準備していて、その当時国鉄をアメリカの自由に使う必要があり、下山総裁に圧力がかかった。それに対し下山が抵抗姿勢を見せた。
そのためにやられたというのを親父は話していた。
この証言を元に取材を進めると、事件の3ケ月前に作られた米機密文書に行き着いた。1949.5.4。CIAの報告書。1952年までに米ソが開戦した場合、日本が戦略的に重要と分析。
だが国鉄の軍事利用のため下山に圧力をかけたとの記述はない。
鎗水がその件を追及していた時、得体の知れない圧力がかかったという。脅しに来られた事もあった。

その後記者を辞めた鎗水。2017年、96歳で亡くなるまで事件について語ることはなかった。

アメリカがソ蓮と対立し、反共工作を進める中で起きた事件。
下山総裁の死後、10万人の人員整理は大きな抵抗なく完了。
1950.6.25に始まった朝鮮戦争で、国鉄は軍事物資や兵士の輸送に協力。開始から2週間で客車7324両、貨車5208両が使われた。これは国鉄の軍事輸送史上最高を記録。

朝鮮戦争の1年後。1951.4.23に首相 吉田茂は米ダレス特使との会談で、下山事件は韓国人によるものと断定。
アメリカが関与していたという疑惑に光が当てられる事はなく、幕引きが行われた。

キャノン機関で反共工作を行っていたビクター・マツイ。
占領期、共産主義者の排除に向け日本政府と共闘した事が、今の日米関係に繋がっていると振り返っていた。
マッカーサー元帥やGHQ幹部と日本政府の幹部は、直接連絡を取り合っていた。日本人はそこから「何をすべきで何を避けるべき」か判断していた。、日本はアメリカと共生関係にあり、そうでなければ混乱した状況になっていただろう・・・
日本政府は世界情勢を理解して、アメリカの提案を受け入れた
占領期、下山事件の背後で渦巻いていた謀略。

一人の人物の死の真相は、日本の手綱を握ろうとする巨大な力を前に、闇の中に消えて行った。
そして、事件の先に敷かれたレールの先で、今の日本社会が形作られている・・・