新プロジェクトX「世界一の電波塔建設に挑む」NHK4/6放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
東京スカイツリー 天空の大工事 

〜世界一の電波塔建設に挑む〜 NHK4/6放送

感想
「プロジェクトX」が18年ぶりに再開するというので、前景気を煽る番組を観て、一つぐらいは観ようと思い視聴。
過去番組で記憶に残っているのは「YS-11」「ロータリーエンジン」「スバル360」「VHSレコーダー」等々、開発モノが多い。

さて本編。
完成間近の時に「東日本大震災」の洗礼を受けた事は強く印象に残っているが、その建設秘話についてはあまり知らなかった。
基本意匠、構造設計、材料調達、そして工法の決定。
その建設の節目ごとに、課題を乗り越えて完成に漕ぎ付けた。
関係者の努力には敬意を表するが、やっぱりNHK特有の「盛り上げ」強制モードが鼻につく。
プレス機が中古で担当者は乗り気じゃなかったとか、その担当者の奥さんがタワー完成前に死んじゃったから俺は上がらないとか、正直言って技術と無関係のところで泣かせにかかるやり方は本当に不愉快。

それから、この「新プロジェクトX」を心配する記事がある。

過去作については、過剰演出や捏造が横行していたとの記述もあり、関係者には十分な配慮をお願いしたい。
優れた題材に中途半端な演出は不要。
オマケ
「プロジェクトX」過去作一覧

 


内容
司会  有馬嘉男、森花子 語り:田口トモロヲ
ゲスト 田辺潔 大林組
    半田智也 宮地エンジニアリング
    森川哲治 とび職



2012年に完成した「東京スカイツリー」
世界一の自立式電波塔。高さ634m。

それまでは東京タワー(333m)
延べ58万人が関わり、36,000トンの鉄骨を組み上げた。

発端
2003年。ある問題が持ち上がる。東京タワーの電波が周囲の建物に遮られる→600m級の電波塔が必要(空前の計画)
設計を手掛けたのは日建設計。意匠は吉野繁、構造は小西厚夫。
敷地の狭さが課題(東京タワーより狭い敷地)
エッフェル塔、東京タワーとも高さ300mに対し1辺の長さ100m。地上を正三角形として1辺68mを取るのが限界。

そこから次第に円形に変化し、350mと450mに展望台。

そして最上部に放送用アンテナを設ける。

そのデザインの実現が小西に課せられた。

詳細検討の末に小西が持ち出したのは五重塔の心柱。


長さ357mの鉄筋コンクリートの柱が、塔の揺れに少し遅れて動く事で振幅を抑制する。

だがこの柱が施工の邪魔になる。


小西は阪神大震災(1995年)を経験していた。
心柱の主張を譲らなかった小西。

2006年、新タワーのデザイン発表。頭を抱える建設関係者。
組み上げ困難な鉄骨群、そこに重さ1万トンの心柱。
各ゼネコンともエースを投入。大林組では田辺潔(当時45歳)


その上司 鳥居茂。方針は「技術力は自分でつかむこと」
施工計画は却下された(技術の裏付けを持ってこい)
4年書庫に籠った田辺。そしてついに難問を解いた。
塔体は37,000の鉄骨の組み合わせ。

高さ500m以上となるゲイン塔は地上で組立て、中心の空洞を通して吊り上げる。心柱は最後に作る。

ただし、前例はない。鳥居は承認した。
工事の総責任者に就任したのは、あの鳥居茂だった。


2009年4月、地上の建設工事が始まった。工期は3年半。
1人目のゲスト、構造設計の田辺潔登場。

鉄骨は全国22社が請け負った。
塔の完成時の頂上許容誤差は6cm以内。各鉄骨の加工精度がカギ。径2.3mの円形鋼管に求める精度は誤差6mm以内。


特注の鉄板は全国5社の製鑵会社に持ち込まれた。
佐々木製鑵工業で、厚さ10cmの鉄板との格闘が始まる。

厚く高強度であり曲げが困難。北九州でも精鋭が立ち向かう。


徳島の小工場(大阪特殊鋼管製造所)にも発注があったが、揉めていた。担当の村瀬が難色。プレス機が耐えられない。

壊れたらしまい・・それは中古品。修理しながらの運用。
営業部の松本に拝み倒されて受けた。オモテに出る事がない部品。仲間に自慢出来る仕事が取りたかった松本。

全国で作られた鉄骨が続々と集合。とび職も全国から集まる。
3本の柱は夫々別の会社が請け負った。

東:松村組・西中建設、西:宮地建設、北:鈴木組


宮地建設の職長は半田智也(当時31歳)この仕事に対する逡巡があった。未経験の高さに対する怖さ。それを越えて取り組んだ。


だが他のチームの仕事ぶりに圧倒された。特に西中の早さ。
西中のカリスマと言われた森川哲治。15歳からの叩き上げ。


とびは金がいいからと入った世界。筋トレで体を鍛え、毎日ノートを取った。それを社長に見られて給料が上がったという。


段取りに無駄がない。早くて正確。

最も遅かったのが半田たち。他の2チームの足を引っ張った。
次の仕事に入れないと容赦ない言葉。「他社は敵」の思い。
弱音を吐けず、仲間に声を荒げる事もあった。去った者もいる。
2人目のゲスト、宮地エンジニアリングの半田智也登場。
 

そんな時にとび職仲間で花見をやる機会があった。場所は隅田公園。森川の前で緊張する半田。だが飲むうちに度胸が沸いた。
森川たちは気さくだった。
それを機に一から勉強をやり直した半田。他チームへ勉強に出向く。そのうちに情報交換が出来るようになった。
3チームの息が合って来た。

2010年3月。スカイツリーが東京タワーの高さを越えた。
これからは未知の戦い。最初の洗礼は落雷。真横から襲う。


そして風速は常に10m/S以上。たじろぐ森川。

妻に寝言で叫んでいると言われた。
リフトアップを追うように心柱の建設が進行。

2010年8月。タワー高さは408mになった。
タワー頂上にあたるゲイン塔のリフトアップが始まった。


重さ3,000トンを600mまで吊り上げる。その仕様決定を自ら行った田辺。万一抜けがあれば大惨事となる。自分だけは逃げる事

がは出来ない。
その頃、総合所長の鳥居が現場を空ける様になった。末期の食道ガンだった。現場には「思い切りやれ」と伝えていた。
その2週間後、鳥居の訃報が飛び込む。享年61歳。
3人目のゲスト、とび職の森川哲治登場。
花見の思い出を話す二人。



ゲイン塔のリフトアップは9ケ月かけ、634mを目指す。
工事は橋での経験が活かせる半田たちが受け持った。
2011年3月11日。タワー高さは619mに達していた。

固定装置を一部外していた。

2時46分、そこに大地震が襲う(東日本大震災)タワーが横に5m揺れた。倒れると思った、と言う半田。
心柱はまだ建設中。最悪のタイミング。皆第二展望台に避難。
だが作業途中だったため、ゲイン塔の固定装置が1段外れている。余震で持ちこたえられるのか?


その時、半田が手を上げた。下段を何としても付けるためにもう一度上る。ゲイン塔が倒れたらどれだけの人が死ぬか。だが行けば自分らの身も危ない。行けるか?全員が「行きます!」
半田たち20人が再び階段を昇った。
そして40分後、全員が戻って来た。ゲイン塔は固定された。

タワーが634mに到達したのはその1週間後。
その眺望を、半田は噛みしめた。森川も駆け付けた。
田辺は亡き鳥居に完成を報告した。

ゲストから一言づつ。
田辺:プレッシャーのかかり続ける仕事に最後まで関われた。
半田:本当に成長させてもらった。今があるのはあのおかげ。
森川:みんなの気持ちのレベルが高かった。

今、年間400万人が訪れる東京スカイツリー。