Nスペ「第2集 ヤマト王権 空白の世紀」3/24放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

NHKスペシャル 古代史ミステリー
「第2集 ヤマト王権 空白の世紀」3/24放送

第1集

 

感想
第1集では主に卑弥呼を取り上げたが、今回はその後の話。
富雄丸山古墳で見つかった蛇行剣は、当時急発達した鉄製品製造技術の進化を証明している。それに基づく大陸との関係推理。
ただ、いろんな話の組み合わせにちょっと違和感はあるかも。

高句麗の「広開土王」にはやっつけられたが、その70年後「長寿王」の時代に再び挑んだとある。番組では日本書記の記述で「軍備を整えた倭軍は敵を大いに破った」と言っている。
だが長寿王の事を調べると、百済を援軍として助ける倭軍と戦い、勢力を拡大したとある。
まあ、挑むには挑んだんだろうな(勝ったとは言ってない・・)
NHKお得意の「ミスリード」ってヤツか(笑)

そして話は国内への技術展開に移行。
ヤマト王権がどう変質して行ったかも興味があるところ。
コチラ(ヤマト王権)に記述あり。

蛇行剣では最近こんなトピックがある。

 


内容
先週のミュージアム。今回がクライマックス。ヤマト王権。
前方後円墳がヤマト王権のシンボル。
近畿から日本各地に広がる統一国家。倭の五王。
その名は「讃 珍 済 興 武」だが実像は謎。


活躍したのは5世紀(卑弥呼は3世紀)間の4世紀が空白。


倭の五王の一人「珍」の仁徳天皇を祀った「仁徳天皇陵」


全長486m。スケールはピラミッドや始皇帝陵を凌ぐ。

なぜこれほど巨大になったのか。

五王が登場する直前の4世紀にカギがある。
 

4世紀後半に作られた富雄丸山古墳(奈良)発掘調査で大発見。
盾形銅鏡(長さ64cm)

史上空前の大きさ。だ龍が彫られている。


同時に埋葬されていた巨大鉄剣。全長2.37m。

蛇行剣。X線撮影の結果で1本の剣だと判明。

中国の鉄剣でも1m。東アジア最大。
どうやって作ったのか?常識を覆す技術革新があった。
鍛冶の技術は大陸から伝わった。当時の技術の検証。
炉の再現。高温化には「ふいご」が重要。1000℃に達する範囲は3世紀の炉に比べて強大。カギはふいご先端の「羽口」

日本で改良され、4世紀に大型化。大型鉄器の加工が可能に。
蛇行剣は技術革新の成果。生活用品にも展開。


 

5世紀。倭の五王の時代が幕を上げる。最初の一人。倭王「讃」
第十五代「応神天皇」とも言われる。大阪にある応神天皇陵。
連合政権の基盤を固めた。讃は東アジア情勢に目を向けた。
鉄こそがヤマト王権の源。

前方後円墳が韓国で見つかっている。2022/11月に発見された。
これまで韓国で確認されたのは15基。韓国由来との見立てもあったが、副葬品調査で日本由来のものが多数出た→倭人の墓。
なぜここに葬られたか。倭国が東アジアの動乱に巻き込まれた。

中国では三国志の時代を経て乱世に突入。朝鮮半島では高句麗が勢力拡大し、ヤマトと同盟の百済を脅かしていた。

この危機に立ち向かったのが倭国「讃」
奈良所蔵の国宝「七支刀」百済と記されている。倭王の文字も。
百済の王が救援を求めた際のものだと言われる。


高句麗の第19代王「広開土王」は巧みな戦略で侵攻。
「広開土王」の石碑に多く残る「倭」の文字。熾烈な戦い。
ヤマト王権が高句麗と戦った真の理由とは・・
重要資源がカギを握る。古墳から発掘された鉄鋌。貨幣と同等。
倭国の鉄は、朝鮮半島からの輸入に頼っていた。
「讃」は存亡を賭けて進出。東アジアの動乱に身を投じる。

英雄と言われた「広開土王」は騎馬軍団で攻めかかる。馬は当時の最先端の「軍事兵器」倭国には馬はおらず苦戦。
兵器としての馬(当時の実力)機動力:最高時速39km/h。2日で200キロの移動。攻撃力:走る馬から矢を放つ。今の戦車並み。倭国は敗北した。危機に陥った倭王「讃」
卑弥呼に習い、中国の「宋」皇帝へ使者を派遣した。長い間無視されていた事を咎める宋。だが当時宋は北魏と争っていた。
北魏と高句麗が手を結べば脅威だが、倭国が高句麗を滅ぼせば脅威は低下する。

倭国に「将軍号」を授けた宋。

「安東将軍」の名を得て百済、新羅、可耶の軍事権も与えられた。更なる秘策。


倭国が高句麗に大敗してから70年後、ヤマト王権を率いていたのは倭王「武」(雄略天皇)別名:ワカタケル大王。
一方高句麗の王は第20代の「長寿王」再び挑んだ倭国。
どんな戦略があったのか?
その一つが鉄製の甲冑。現存の甲冑の3次元解析。異なる古墳から出土したパーツの形状が一致。同じ工程で作られたもの。


元々朝鮮で発達した鉄製の甲冑。倭国では設計図を作り量産化。
更に百済から馬を入手し騎馬軍団を育成。馬の歯に含まれる炭素同位体からエサを突き止めた。牧草だけでなく雑穀も与えられていた。育った場所は東日本(大移動)

王権が主導して馬を増やした。

軍備を整えた倭軍は敵を大いに破った(日本書記)

高句麗に一矢報いた。その一方ヤマト王権は、朝鮮半島で入手した鉄資源や技術を用いて統一政権を樹立した。
それを示すのが前方後円墳(日本全国に広がる)
馬は軍事目的だけでなく、移動手段としても重要になって行く。
社会をまとめるための重要な要素。日本の礎か形作られた。
富雄丸山古墳。2024年2月、青銅製の鏡が出土。権威の証し。


6世紀半ば、百済の王から仏教がもたらされた。漢字も広まる。
寺院も誕生。それと共に姿を消して行ったのが前方後円墳。
彼らが切り拓いた道は、今の日本へと続いている。