私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

感想
昨年の初め、坂本龍一の最後のコンサートという体で、NHKの509スタジオを使って収録した番組が放送された。

 

その収録から半年後に亡くなったという事。

ミュージシャンの訃報があると時々は記事を書いていたが、彼の場合にはちょっと気がひけて何も書かなかった。
だが今回、がんや音楽、その他のものにギリギリまで向き合った坂本龍一氏に接して圧倒された。貴重な記録として残そう。
 

彼のがんとの闘いは、亡くなる約9年前から始まる。
それまで、健康については自信があったという(野獣的な生活)
2014年の「中咽頭がん」は手術の記述がないから放射線もしくは抗がん剤治療だったか。その後数年は良かった様だが、2020年に直腸と、転移した肝臓、肺などの手術を実施。
担当医によれば、抗がん剤治療より音楽活動を優先したという。

自分自身持病はあるが、幸いがんの兆候は見られない。

月イチで通院の際、主治医の決めた年間計画に乗っかって定期的に血液、エコー、レントゲン、CT、胃カメラ等を行っている。
そんな日々の中で「何を残せているか」が問題なんだよな・・・
 

いずれ自分も死と立ち向かわなくてはならない。

先輩の道程を追い、自分に巡って来た時の拠り所にしたい。


内容
2023年3月28日。坂本龍一さんが亡くなった。
坂本さんはどう死と向き合い
どのように人生を締めくくったのか

取材の申し込みに対し、遺族が日記や映像を提供してくれた。

2019年。ニューヨーク。自宅の庭。
ピアノを置かせ、野ざらしのまま雨の中ピアノを弾く。
「自然に還す実験」だという。


*日記の記述及び本人の言葉は一字下げて表示
 2020年12月4日
 肝臓に3cm大の腫瘍があると言われる。
 うーん、5ケ月前にはなかったのだが。

2020年12月11日。
ステージ4のがんと診断され、余命半年と告げられた。
その宣告の翌日に、世界同時のコンサートを配信。
「Merry Christmas Mr. Lawrence」

 11日
 現実なのか?現実感がない。
 何もせずに半年過ごすか、副作用に耐えながら5年生きるか。
 やり残したことがあると感じるかどうか。
 12日
 耐えられなければそこで辞めればいいか。
 あるいは今、安楽死を選ぶか。
 13日
 手遅れだということ。死刑宣告だ。
 しかし、何を見てもこれが最後だと思えて悲しい。
 バカなことをしたものだ。恥ずかしさと勇気のなさが命取りに

 なった。俺の人生、終わった。

2021年1月。東京。亡くなる2年前。
J-WAVE。坂本が受け持つFM番組の収録。
「明けましておめでとうございま~す・・・」

1月12日。入院。
がんに関するそれまでの経過
2014年。中咽頭がんが見つかるも寛解。
2020年。大腸がんがみつかり肝臓などに転移した。
当時過ごしていた病室を忠実に再現。

 1月12日
 入院日。朝、最後の食事。
 どら焼き、お茶、みかん、ご飯、キムチ、納豆。
 これだけあれば幸せ。みかんが食いたい。
 13日
 家族に会いたいと思うと涙が出る。いよいよ明日だ。
 親にもらった体を傷つけると思うと悲しい。


手術は20時間に及んだ。
 24日
 時計を見ても、時間が分からなかった。
晩年、自伝のためのインタビューを受け、肉声が残されていた。

 それまで健康、身体等ほとんど考えた事がない。
 野獣の様に生きて来たが、万に一つも疑ってなかった。
 もちろん後悔している。自信過剰になっていた。
 子供にも言っているが、何かおかしいと思ったら受診が必要

 1月25日
 腸ヘルニアの緊急手術。腸が飛び出していた。
 次々と合併症が起こり、さすがに一生出られないかと思った
入院後、自撮りが日課となった。

 

 1月27日
 また始まった。このせん妄体験、重要だ。幻覚も見える。
 ユング、フロイト、ラカン、デリタ。神話的なものは出ない。
 1月31日
 このような状態の時、俺の感覚は?思想は?音楽は?
 何もない。何も聞こえてこない。
 何も言いたいことはない。
 

 2月9日
 東北ユース団員から励ましのヴィデオが!


音楽による復興支援で「東北ユースオーケストラ」設立。
東日本大震災から10年以上指導を続けて来た。


 地震、津波で恐ろしい目に遭った子もいる。
 子供たちのオーケストラも簡単にはやめられないし、
 縁は切れない。
2011/3/11の、東日本大震災に関する述懐。
 人が作るものが自然によって壊れる事の実感。音楽もそう。
 喪失、怒り、悲しみは創作の原動力。

 2月11日
 夜中に「スッと」する気分があった。何かが変わったような。
 何かのスイッチが入ったような。

入院中は小さな、音が鳴るものを常に置いていた。


 雨音をYouTubeで探して。何時間もずっと聴いて救われた。
 自分にエネルギーがない時は、音楽はなかなか聴けない。
 音楽は熱量が高いので、受け止めるのに体力が要る。
 でも音は必要。
入院は2か月に及んだ。

2021年3月
 東京の仮住まい。
 3月3日
 退院。仮住まいの家に着く。ホッとして、涙が出る。
 治ったら、のやりたいことリスト。
 3月2日
 P10でスケッチを2つ録音。20210310、

 音を浴びたくなった。この2か月何も浴びていない。
 それで、シンセで好きな音出して作った。
 思いついたらスケッチを録る作業を始めた。
 タイトルは8桁の年月日。砂遊びの感覚。

下村由一(93歳)母方の叔父。音楽面で影響を受けていた。


3歳の頃

中3で作曲の勉強を始めていた坂本。知的好奇心が強かった。


2021年春。治療の合い間を縫って音楽制作を再開。
 4月6日
 肺に転移らしきものがありこの2ケ月で大きくなっていると。
 次から次へと問題が・・・ チキショウ!!
 
 7月27日
 台風で散歩なし。「三島由紀夫と東大全共闘」見る。
 7月29日
 散歩。「純粋理性批判」を読んでいる。
 8月4日
 散歩。柳田國男「山の人生」読了。

鈴木正文 元GQ JAPAN編集長。長年旧交があった。
本が無二の親友だった。生きる事の意味を考え続けた。

2021年10月。手術。
 10月9日
 音楽と書いて、オトラクと読む。
 10月11日
 生きるのって面倒くさい。
 治療で復活出来るかも知れないけど、痛いし、体力落ちる。
 筋力が弱まると主体性まで弱まる・・・
 命を延ばすための免疫力アップ(運動)も意味があるのか。

2022年。亡くなる1年前。
 2022年1月17日

 70歳。満月。

 1月24日
 ヘンな恰好をすると免疫力が上がる。試してみる。

 1月29日
 一体何人が雲を見ている?雲の動きは音のない音楽のようだ。

この先の治療を見据えて、念のためかつらを作った。
笠原群生。晩年を支えた医師のひとり。


抗がん剤治療の提案には「音楽をあと10年作りたい」
それに対して影響するものは避けて欲しいと言っていた。
抗がん剤治療で指の痛み、痺れが出る事があり苦労したと思う。

 2022年2月25日
 ロシアがウクライナに侵略を始めてしまった。
 音楽だけが正気を保つ唯一の方法かもしれない。
 3月1日
 土の色がとても味気ない。人間はどこでまちがえたのか。
 生きていることがストレスだ。

イリア・ボンダレンコ(ウクライナのバイオリニスト)
世界の音楽家と繋がり、音楽で戦争に抗議する姿を見た。


 ウクライナの事を心配していたが、イリア君のおかげで強い

 縁が出来た。

3月26日。東北ユースオーケストラの定期演奏会に参加した。
 4月17日
 TYOと「いま時間が傾いて」のレコーディング。
 4月18日
 こうなったらどんな運命も受け入れる準備がある。
 4月25日
 歩く。やった!今日は4700歩。

一時的に体調が落ち着き、ニューヨークの自宅に帰った。
本の整理を始めた(どうせ読めないから)
 6月14日
 紫陽花に、涙す。古希。
 8月29日
 水底に深き緑の色見えて風になみ寄る川柳かな 西行
 どう逝くかの問題。抗がん剤浴びまくってヘロヘロで逝くか、

 その逝く内容。

2022年9月。東京。NHK509スタジオ。
長年慣れ親しんだ、このスタジオでの演奏を望んだ。

 2022年9月9日
 松前漬けが食べたい。12時に家を出、NHKへ。
 1時から録音。6時半まで5曲録音。疲れる。
録音前のインタビュー。
 生きてる限りは音楽を作り続けたい。

 今オーケストラの構想がある。響きの音楽にしたい。



笠原医師の言葉。次の抗がん剤治療の日が決まっていたのに、それを少し延ばしたいと言われた。ご自身の治療よりも音楽制作を優先させてしまう。本来決まったプロトコルで続け、余命を延ばすのが抗がん剤治療。スキップは通常ないこと。
公の場での演奏はこれが最後となった。
 

 12月29日
 音楽を残すこと。残す音楽、残さない音楽。
 年末。未来の自分に手紙を書いた。
 12月31日
 2203年末まで生きる。

最晩年を過ごした東京の仮住まい。
今もそのままの状態で残されている。


インタビューで語ったオーケストラのための曲は、制作の最終段階だった。




 2023年1月9日
 ベッドで朝食べるのが習慣になった。雲の流れ。
 聞いているか、幸宏の事。
YMOのメンバーだった高橋幸宏。
同じ時期に病気になり闘病を続けていた。

高橋喜代美(幸宏の妻)

仲が良かった。小学生2人が話しているみたい。兄弟のような。
2022年10月に坂本が訪ねたが、直前の入院で会えなかった。
自分の治療で大変なのに来てくれた。その写真を喜んだ幸宏。
特殊な関係性。
 

 1月11日
 なかなか眠れず。5時59分。幸宏逝く!
高橋幸宏 70歳 逝去。

細野晴臣(YMOメンバー)
なんか触れたくないという気持ちが強かった。現実離れ。
YMOだって、まだまだいくらでも出来ることがある。


みんな、そこまでの年寄りではない・・・

 2月18日
 NHKの幸宏の録画見る。

 ちぇ、Rydeenが悲しい曲に聞こえる。

Rydeenは高橋幸宏の作曲。

2月28日。亡くなる1か月前。
 2月28日
 今日は息が苦しい。4時ヘアカット。
 3月20日
 1時頃息が苦しくなり大汗をかく。
 とにかく熱い。飽和度を計ると60~70台。
 どんどん息ができなくなる。救急車を呼ぶ。

 3月23日
 心も体もリラックス!
 3月24日
 気力がない。

3月25日。ターミナルケアを自ら医師に依頼した。
 2月25日
 N来る。子供たち来る。

4人の子どもらを一人ひとり部屋に入れ、別れの時を過ごした。

長女:相撲が好きなので一緒に見た。 
長男:(海外在住でビデオ通話)サービス精神で笑わせてくれた。

次女:いい人生だったなって言ってたのが強い記憶。

次男:死に対する恐怖はなくなったって。なるほど・・・
子どもたちに別れを告げた後のものが、最後の日記になった。
  20230326
  0545 36.7/ BP 115-80 /   SPO 97 
  時刻  体温    血圧     酸素飽和度
自分の健康状態を記していた。

同日、長年指導してきた東北ユースオーケストラの定期演奏会が行われた。スマホ視聴。


朗読は吉永小百合。スマホ越しにそれを見る。


「・・・これはやばい」朗読を聞いて胸がつまる。


2日後。亡くなる1時間前、意識を失ってもなお、ピアノを演奏するかのように指を動かしていた。


2023年3月28日 午前4時32分。
雨が降る中、息を引き取った。